*SAKULIVE*

音楽と桜とミルクティーをこよなく愛す社会人の、音楽についての感想文集。

蜂蜜と遠雷、月と星のキャラバン。

 

蜜蜂と遠雷(上) (幻冬舎文庫)

蜜蜂と遠雷(上) (幻冬舎文庫)

 
蜜蜂と遠雷(下) (幻冬舎文庫)

蜜蜂と遠雷(下) (幻冬舎文庫)

 

蜜蜂と遠雷」の余韻からずっと抜け出せない。

昨日の朝の通勤電車で上巻を読み始めて、移動の間もランチのあいだもずっと読み続け、夕方には読み切ってしまった。
昨日の夜は友人と食事に出かける予定があったので遅くに帰ってきたのに、下巻を開いてしまったが最後、寝る間を惜しんで読みふけってしまった。
あと少し…!というところで気づけば寝てしまっていて、早めに鳴った目覚ましのおかげで、朝のうちに読み切った。

とんでもない作品に出合ってしまった。

これはわたしの心の内に留めておくことなどとてもできない。

「『蜜蜂と遠雷』すごく良かったから、読んで!」

気に入ってくれそうな人にダイレクトに勧めに行きそうなこの勢い、過去に一度だけ経験がある。

それは去年、AKIHIDEさんの「機械仕掛けの遊園地」が出たときだ。

 

機械仕掛けの遊園地 -Electric Wonderland-(初回限定盤)(DVD付)

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あの時も、こんなに素晴らしい作品をわたしだけの手元に置いておくわけにはいかないと、大量に買って、わたしが聴いてほしい人を勝手に決めてプレゼントした。
みんな真摯に聴いてくれて、とてもよい友人を持ったと思う。

去年の衝撃の再来だ。

こんなにも音を言葉で紡いだ小説があることを、なぜ今まで知らなかったんだろうと、ずっと悔やんでいる。

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映画を観ていても、小説を読んでいても、浮かんでくるのはAKIHIDEさんの音だった。

どんな文化に触れてもAKIHIDEさんのことを思い出してしまうわたしは、もう本格的に頭がおかしいのだと思う。自分でも呆れる。

一時的にでもいいから、AKIHIDEさんのことを忘れて生きたいと思ったけれども、わたしにとってAKIHIDEさんは、身体や心のパーツをつなぐボルトみたいな存在で、そのボルトが全部はずれてなくなってしまったら、わたしという存在もばらばらと音を立てて壊れてしまう気がする。

そのきっかけをくれたのは間違いなくJanne Da Arcだけれども、ほんとに、実質的にいつも、わたしの傍に“with”してくれていたのはAKIHIDEさんの存在なんだなぁ、としみじみ思う。

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AKIHIDEさんのことを常に思い出す人生をやめたいのはやまやまだけれど、「蜜蜂と遠雷」を観て、読んで、AKIHIDEさんのことを思い出すのは、しかたのないことだとも思っている。

なぜなら、わたしが、“音楽を聴くと情景が見える”体験をするようになったのは、紛れもなくAKIHIDEさんのソロ作品がきっかけだと思うからだ。

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ここから余談(…のつもりが結構な長さになってしまった)。

わたしは小学4年生までピアノを習っていた。今では全く弾けないけれど。
その時に聴音(という呼び方が正しいのかは分からない)をしていて、先生がピアノで弾いたメロディーを譜面に書き起こしていた。
そのため、単音であれば、きちんと音階に聞こえる 時期があった。

そのおかげで、中高時代はそれなりにメロディーが音階に聞こえていたので、音楽を聴いていてもドレミに聞こえることが多かった。

ただ、ピアノを辞めて時間が経過すると共に、その能力はなくなっていった。

まず、小学4年生までは確実に聞き分けられていた半音の聞き取りができなくなった。

ロ長調が深刻にハ長調にしか聞こえなくなり、どれだけシを連打してもドにしか聞こえないときには絶望した。
そもそもいい耳ではなかったけど、この耳は死んだなと思ったのをよく覚えている。

この“半音きこえない問題”が割と本格化していたのが、2014年秋。
AKIHIDEさんが「月と星のキャラバン」のツアーを行っていた時期と重なる。

 

月と星のキャラバン

月と星のキャラバン

 

 

この時のライブレポは、非常に力を入れて書いたのを、今でもよく覚えている。

「月と星のキャラバン」は、AKIHIDEさんがアルバムのリリースに先駆けてライブを行うという手法をとった最初のツアーである。

わたしのこれまでの人生で、あれだけ音を集中して聴こうとしたツアーは、他にない。

インストゥルメンタルの音楽に馴染みがあまりないファンへの気遣いからか、AKIHIDEさんは、このツアーで、曲に込めた物語や心情を語りかけながら新曲を披露していた。

それだけ想いのこもった新曲たちを忘れるわけにはいかない。

そう思い、聞こえる音階(当時は、まだ聞こえた)をメモに書き留め、レポに書き起こすときには、スマホに入れたピアノアプリで記憶と音階を確認しながら、感じたことを書いていった。

この時に演奏していた「Aurora」の、旅の始まりの期待に満ちた心が逸る感覚は今でも忘れられない。
これだけ並々ならぬ神経を注いで聴いていたからこそ感じ取れたのではないかな、と思う。

その後、AKIHIDEさんはライブで新曲を初披露することがめずらしくなくなった。
でも、「月と星のキャラバン」ほど、自分の耳に、心に、音をしっかりと刻み込めたツアーは他にないなと、今振り返っても思うのである。

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キーボードアプリで必死に書いた「月と星のキャラバン」のレポがかなり大変だったため(笑)、これを機に、わたしは音階で音楽を聴くことをあきらめた。

ただ、それと引き換えに、音が、より鮮明な情景や色の軌跡となって聞こえるようになった気がする。

元から色や軌跡に聞こえる節はあったけれど、それが鮮明になったのは、今振り返ると「月と星のキャラバン」の後の気がするのだ。

それから今日までの間で、たくさんAKIHIDEさんのソロライブを観た。
その度に、AKIHIDEさんはいろんな景色や色彩を聴かせてくださる。

もう、わたしは音がほぼ音階には聞こえないけど、 音から景色や色彩、心情が見える今が楽しいので、これでよかったのだなと思っている。

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そして、わたしが自由に音を聴き、色や景色を感じることができたのも、AKIHIDEさんが、それぞれに見える景色が異なることを許し、そして尊重してくれたからだ。

時にそれが、ご自身の意図と異なる時もたくさんあっただろう。
音の間口を広く開けてくださるAKIHIDEさんを好きでいられたから、わたしは今日もこうして、音を楽しむことができているのだと思う。

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さて、話を「蜜蜂と遠雷」に戻したい。

蜜蜂と遠雷」には、主に4人のピアニストが登場する。

母の死により表舞台から姿を消すも、音楽を心から愛する栄伝亜夜。
亜夜がきっかけでピアノを始め、現在はアメリカの名門ジュリアードで学ぶマサル
サラリーマンで妻子がありながら、年齢制限ぎりぎりでコンテストに挑戦した、高島明石。
養蜂家の父を持ち、移動生活を送り、家にピアノがない天才、風間塵。

AKIHIDEさんの音は、きっと亜夜の音によく似ているのだと思う。

小説を読んでいるとき、亜夜の音の描写を読んでいるときだけ、静かに涙が流れた。
AKIHIDEさんの音を聴いているときに流れる涙と同じだな、と思った。

亜夜はトタン屋根に雨が弾く音がギャロップのリズムになっていることに気づいたり、ショスタコーヴィチソナタをスイカの転がるところを想像しながら弾いたりする。
「世界は音楽で溢れている」ことを知っている。
音楽を楽しみ、音楽を愛している。

たまたま母親にピアノの手ほどきを受け、テクニックにも恵まれていたのでピアノを通して音楽を表現してきたが、他のものを通してでもよかったし、自分で演奏せずに世界に音楽が「存在」していてくれるだけでもじゅうぶん楽しかったのだ。*

とある。

AKIHIDEさんはギタリストだけれども、作詞作曲はもちろん、歌だって歌う。
曲に呼ばれればマンドリン三線シタールも奏でる。
(少し前にLIFEで言ってた“ギターのようでちょっと違うもの…”ってなんだろうね?)

しかも、時にはソロをサポートミュージシャンに“託し”たりする。
この傾向は最近のAKIHIDEさんには顕著だと思う。
ギターインストゥルメンタルの世界を飛び越えて、純粋に、ご自身が表現されたい音楽が呼ぶならば、メロディーを奏でるのはギターに限らないのだと思う。

AKIHIDEさんを“ギタリスト”と表現してしまうのはもったいない。
真の意味でAKIHIDEさんは、“アーティスト”なんじゃないかな、と思う。

そういうところが、とても亜夜っぽい。

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即興演奏が得意、というのも、亜夜とAKIHIDEさんの共通点だ。

蜜蜂と遠雷」には、コンクールのために作られた新曲「春と修羅」を演奏するシーンがある。
春と修羅」には譜面に「自由に、宇宙を感じて」とだけ書かれたカデンツァ(即興)部分がある。

他のコンテスタントが、師にきっちりと教えを乞うた演奏を譜面に起こし、完璧な準備をする中、亜夜だけは(様々な迷いや葛藤がありながらも)真っ白な譜面を前に即興で見事な演奏を披露する。

AKIHIDEさんの即興演奏のうまさ、魅せ方の素晴らしさは、わざわざわたしが語るまでもないだろう。

Being Guitar Summitで、AKIHIDEさんの即興ソロがどんどん高まっていくのがすさまじく、観客も息を止めてソロの行方を見つめ、音の盛り上がりが最高潮に達し即興ソロを終えた瞬間、大きな拍手が起きたことがある。
他のギタリストのソロの時には起きなかった拍手が、AKIHIDEさんの時には起きる。
AKIHIDEさんは後輩の立場のことも多いからあまり大声で言うべきではないけど、それでも自然に拍手をしてしまうような演奏をさらっと即興でやってのけてしまうのはすごい。

それだけ観客の心を動かす音を魅せることのできるアーティストなのだ。

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AKIHIDEさんが好きな方にはほんとにおすすめしたい小説。
出合うのは遅かったけど、それでも今、出合うことができてよかった。

 

*恩田陸蜜蜂と遠雷(上)」、幻冬舎文庫、2019年、74頁より引用