*SAKULIVE*

15歳の夏から続く、with BREAKERZな人生の軌跡。

200711→201911

今日はyouちゃんがサポートで出演されていた、浅葱さんのライブに行ってきた。
開演までの間、いろいろ考え事をしていて。

12年前のことを思い出していた。

12年前。
当時15歳のわたしにとってyouちゃんは、
“世界一のギタリスト”だった。

どんなことがあっても、youちゃんのギターがいちばんだと信じて疑ってなかった。
ギターが弾けない中学生の“いちばん”なんて、他人にとってはなんの説得力もないけれど、わたし自身にとっては、とてもとても大切な“いちばん”だった。

初めて好きになったギタリストを、音楽を、いろんな音楽に出会ってもなお、ずっと“いちばん”だと言えること。
中学1年生の夏に好きになったyouちゃんが、Janne Da Arcが、“ずっといちばん”であることが、中学生のわたしにとって、大きな誇りだった。

でも、2007年11月。
SWAPPING ROCK PARTYの時にお友だちからいただいた、Acid Black Cherryのフリーライブの映像を観て、世界が変わった。

当時はまだタイトルがなかった、「君がいるから」。

このAKIHIDEさんのアコギを聴いて感じた、衝撃と焦りは、今でも忘れられない。

「この人…めっちゃアコギうまくない…?」

アコギの音色の善し悪しなんて分かるわけがない中学生の耳にも、AKIHIDEさんの音は響いた。

AKIHIDEさんの奏でるギターソロの美しい響き、そして、Cメロのトレモロ
当時はあの技法を“トレモロ”と言うだなんて知らなかった。

それでも、AKIHIDEさんのアコギの音色は、輝いて聴こえた。

これが、わたしがAKIHIDEさんを好きになったきっかけだった。

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わたしは焦った。

“youちゃんよりもアコギがうまいギタリストに、出会ってしまったかもしれない”

と思ったから。

このままでは、絶対に守りたい
“youちゃんは世界一のギタリスト”
という砦が崩れてしまう。

そんな焦りの中、元から行く予定になっていたのが、youちゃんのライブだった。

当時youちゃんは、精力的にソロ活動を行っていて、ギターインストゥルメンタル3部作の2作目「LIFE~the second movement~」をリリースしたばかりだった。

これがなんと、全編アコギのインストゥルメンタル作品。

このアルバムのツアーは、全国のカフェをたったひとりでアコースティックギターで回る、というものだった。

わたしは運良く、大阪のflamingo the arushaで行われる公演のチケットを手に入れていた。
AKIHIDEさんのアコースティックギターに心揺らぐ中、偶然にもyouちゃんのアコースティックギターを聴くチャンスを手にしていたのである。

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AKIHIDEさんとyouちゃんは、“アコースティックギターの役割”が全く異なるタイプのギタリストだと思う。

AKIHIDEさんは、“エレキとアコギの魅力が全く異なるタイプ”のギタリストだ。
エレキにはエレキの、アコギにはアコギの魅力がそれぞれにある。
もちろん、トレモロやスライドバーはエレキでもアコギでも用いるし、エレキでディレイを使えば、アコギでループマシンを使う。
礎となるAKIHIDEさんの技術はエレキ、アコギに共通して発揮されるけれども、その魅力はエレキとアコギで全く異なる。

それに対して、youちゃんは、“エレキの技術をそのままアコギでもやってのける”タイプのギタリストである。
youちゃんといえば速弾きに代表される高速プレイだと思う。
それをそのまま、アコギでもやってのける。
アコギとは思えないくらい凄まじい速弾きや、観ているだけだと何が起きているか分からないスーパープレイを連発する。

※個人の見解です笑

この、“観ているだけだと何が起きているか分からないスーパープレイ”を、わたしはflamingo the arushaで目撃することになる。

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youちゃんのライブの日、わたしが最も衝撃を受けたのは、本編ラストに演奏された「existence of the soul」だった。

スパニッシュ要素の強いこの楽曲で、youちゃんは凄まじい速弾きを惜しげもなく披露していた。

当時のわたしはライブレポにこう書いている。

会場全体が息をのんで、
youさんのギターテクに引き込まれているのを感じたもん。
もちろん私もその1人。
まじで鳥肌立ちました。
速弾きには真面目に感動しました。
youちゃん自身も、
楽しんで弾いてるって言うのが音に現れてた。

(当時15歳の文章…。どうにも偉そうなのを直したいけど原文ままで失礼いたします)

会場全体が、youちゃんのアコギに息を飲んでいるという実感、
たとえギターが弾けなくとも、凄まじくテクニカルなことが起きてると分かる速弾き。

そしてこの日、いちばんわたしが感動したこと。

それは、
アコースティックギターという楽器は、弾いている人の感情を、音を通して伝えられる楽器なんだ”
と、知ったことだった。

この日のyouちゃんは、楽しんでいるということや感情の高まりが、すべてアコギの音を通して伝わってきた。

こんな音楽体験は、当時15歳のわたしにとって初めてのことだった。

「やっぱり、youちゃんは世界一のギタリストなんだ」

そう思って、ほっと胸をなでおろしたのを今でも覚えている。

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とはいえ、AKIHIDEさんのアコギも国宝級には変わりないので、この日から、わたしは、

「youちゃんも、AKIHIDEさんも、アコギはみんなちがってみんないい!!!」

という方に方向転換することにした。

その後、BREAKERZが10周年を迎えるまで、12年間。
youちゃんは、わたしにとっての“世界一のギタリスト”で在り続けたのである。

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BREAKERZが10周年を迎えたことは、わたしにとって、大きなターニングポイントとなった。

Janne Da Arcを待ち続けた時間を、ソロ活動を開始した2007年1月からとしよう。
(個人的にはもっと待ってた、と言いたいけど)

奇しくもBREAKERZの活動開始も2007年。
わたしがBREAKERZを、AKIHIDEさんを好きになったのも2007年。先述した11月の出来事である。

BREAKERZが10周年を迎えた2017年7月の時点で、Janne Da Arcの復活を待ち続けてから、既に10年以上の月日が経過していた。

Janne Da Arcのライブに行く中高時代」を送るのが、中学1年生からの夢だった。

絶対叶うと思っていた。
叶わない訳ない、そう思っていた。

だって、好きになったの、13歳だったし。

でも、結局、Janne Da Arcのライブには、一度も行けなかった。

夢が叶わないかわいそうな人生を送ってると悲観的になっては、荒れた。

待てども待てども復活の知らせは来なかった。

それでも、
Janne Da Arcは世界一のバンド”
“youちゃんは世界一のギタリスト”
という想いは、わたしの中で揺るぎなく、ずっと変わらなかった。

これだけ“いちばん”を守り続けた原動力がなんだったのか、今のわたしにもよくわからない。

でも、それだけ、Janne Da Arcが魅力あるバンドなんだと思う。
そう思うのは今も変わらない。

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Janne Da Arcを待っている間、コンスタントに活動を続けてくれていたのは、BREAKERZだった。

2007年11月にAKIHIDEさんに出会い、BREAKERZを好きになってから今日に至るまで、わたしは、
“1回もBREAKERZのライブを観なかった年”
が一度もない。
BREAKERZがコンスタントに活動していた証拠だ。

DAIGOくんが大ブレイクしてどれだけ忙しくても、AKIHIDEさんがAcid Black Cherryとの兼業がどれだけ大変でも、ソロ活動を経ても、SHINPがお茶の間の人気者になっても、BREAKERZはずっと、活動を続けてくれていた。

BREAKERZが10周年を迎えて、初めて。
わたしはようやく気づいた。

“ずっと同じバンドを応援する”

その夢を、BREAKERZは、ずっと叶え続けてくれていたんだ、ということに。

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この日から、わたしの優先順位(というと言葉が悪いけど)は、間違いなく変わった。

待てども待てども復活しないJanne Da Arcのメンバーよりも、ずっと応援させ続けてくれた、BREAKERZを、AKIHIDEさんを、大切にして生きていこう。

そう思うようになった。

この頃、Twitterのプロフィール欄から、絶対に消さずにいた
“すべての始まりはJanne Da Arc
という文言を、消した。

絶対にyouちゃんと答えていた「本命」は、AKIHIDEさんなんだなと思うようになった。

youちゃんがいなければ、今のわたしはいない。 だから、大切だけど、“いちばん”高い場所より、もっと遠くにしまい込まれる存在になった。

2017年7月。
Janne Da Arcの解散よりも先に、わたしの中での限界が、既に来ていた。

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2019年4月1日。
Janne Da Arcは解散する。

解散理由が理由だっただけに、心はずたずたになったし荒れたけど、正直、解放されたんだな、と思っている自分も確かにいた。

“いちばん”の存在ではもうなくなってしまったし、待つことにはもう、何年も前から疲れていた。

憩い部のMCのお話を聞き、泣き、夏には福岡と大阪で直接、3人の想いを受け止めた。

3人は、
「これからも音楽を続けていく」
と言ってくれた。

でも。
わたしはもう、昔みたいな熱量で、みんなのこれからを応援することはできない。
そう思ったのが正直なところだった。
ごめんなさい。

憩い部のライブは、Janne Da Arcへの執着から手を放すきっかけになった気がする。
あの日鳴ったJanne Da Arcの曲たちは、決定的に2人欠けていたけど、欠けていたからこそ、わたしにとっては解散ライブのようなライブだった。

決断がもう少し早ければ、個人的な話だけど、2017年7月を迎えるよりも前に、何か物事が進展していれば、もっと何か変わることがあったと思う。

でも、遅すぎた。

“待つ”燃料も、“応援する”燃料も、何年も前に使い果たしてしまっている。

誰かを責めたいわけじゃない。
“わたしにとって”2019年4月、というタイミングが遅かっただけ。
解散という大きな出来事を、わたしひとりの感情で動かせるわけがないから、もう、わたしが離れるのはどうしようもないこと。

わたしが使える燃料は、ずっと応援させ続けてくれた人たちに使いたい。

この方向性が、この2年ではっきりと固まってしまった。

だから、Janne Da Arcメンバーのこれからは、わたしのペースで応援していこうと思っている。

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そんな想いの中で決まったのが、youちゃんのアコースティックインストゥルメンタルアルバムのリリースとツアーだった。

純粋に、これは行きたい。

わがままに聞こえると思う。

いろんなことがあったけど、15歳のわたしに、
アコースティックギターという楽器は、弾いている人の感情の温度を、音を通して伝えられる楽器なんだ”
と教えてくれたのは、紛れもない、youちゃんのアコギである。

チケットは今先行の結果待ち。

行きたいとはいえ、
「イヴとクリスマスの大阪に、死んでも行きたい!」
みたいな気持ちは全くなく、関西で行ける範囲をいくつか申し込んだ。
どれか当たればいいな、当たった公演に行こう、くらいの気持ち。
それくらいでよいのだと思う。

ツアーはyouちゃんたったひとりで回るらしい。

12年前のツアーと同じである。

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時期を同じくして、AKIHIDEさんもまた、たったひとりでアコギを手にツアーを回る。

AKIHIDEさんは去年開催された“NAKED MOON”の続編。
去年はベーシストのすなぱんさんが一緒だったけど、今年は完全独奏スタイルらしい。

これってたまたまなんだろうか?

you've guitar a friendで5月、競演している2人。
以前ギターマガジンで対談したときは、
「ギターを叩くスタイルが同じ」
なんだと話していた。

何かきっかけがあったのかな。
youちゃんは12年前にひとりでツアー回ってるし、関係ないのかな。
そんなことをずっと考えている。

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2人のツアーはどちらも、11月初旬から始まる。

わたしがAKIHIDEさんのアコギに出会い、焦り、youちゃんのアコギに魅せられたのもまた、12年前の11月だった。

あれから12年。干支が巡った。

11月の2つのツアー。
運命めいたものを感じずにはいられない。


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12年前のチケット。