平成31年4月1日
Janne Da Arcが解散しました。
わたしは、Janne Da Arcをきっかけに、音楽に出会いました。
今も、わたしが音楽を聴く“軸”は、Janne Da Arcの音楽です。
Janne Da Arcがいなければ、今のわたしの人生はありません。
Janne Da Arcは、わたしに、人生をくれました。
*********************************************
わたしは13歳の夏にJanne Da Arcに出会いました。
Janne Da Arcは既に、この年の3月に大阪城ホールでのライブを成功させていました。
結局、ライブには一度も行けずじまいでした。
13歳のわたしに、結局一度もライブに行けないまま14年後に解散すると伝えたら、きっと自殺してしまうと思います。
解散を知るのが、大人になった26歳のわたしでよかったです。
来週、27歳になるけどね。
中学生の頃のわたしにとって、Janne Da Arcは人生のすべてでした。
例えライブに行けなくても、すべてだったんです。
14歳の冬に、ぴらりと1枚の葉書が届き、15歳の夏からソロ活動が始まりました。
思春期のすべてを、わたしはJanne Da Arcの復活を渇望しながら過ごしました。
Janne Da Arcを全力で追いかけて思春期を生きるのが、13歳のわたしの夢であり、憧れでした。
絶対に叶う、叶わないわけないと思っていました。
だからこそ、荒れました。
ソロ活動続きでなかなかJanne Da Arcが復活しないことに、憤りました。
荒れても憤ってもそれは徒労にしかならず、気づけばわたしは中学を卒業し、高校を卒業し、大学をも卒業し、社会人になってしまいました。
社会人になった頃には、Janne Da Arcに出会ってからの月日は10年を超えていました。
そのうち、能動的に“待つ”ということに、疲れを感じてきました。
“Janne Da Arcのいない日々”が、当たり前になっていきました。
そして、平成31年4月1日。
社会人5年目初日の今日。
Janne Da Arcは解散を発表しました。
メジャーデビュー20周年を来月に控えた、突然の発表でした。
*********************************************
一度でいい、ライブに行きたかった。
13歳の夏の夢が、こんなにも長いこと叶わないなんて。
しかも、26歳まで待って、その幕切れが、こんな形の解散だなんて。
信じたくないです。
15歳からの12年間。
干支1周したよ。長すぎる。
でも、無の日々に区切りについただけとも思います。
復活の期待なんて、とっくの昔になくなっていました。
それなのに、こんなにも悲しいのはなぜ。
*********************************************
Janne Da Arcを好きでいた日々は、決して幸せなものではありませんでした。
でも、Janne Da Arcは、たくさんの幸せに出会う、すべての始まりでした。
Janne Da Arcの存在がなければ、今のわたしはありません。
Janne Da Arcをきっかけに出会ったギタリストの哲学に触れて、中学生のわたしは救われました。
Janne Da Arcの存在があったからこそ好きになったバンドがいてくれるから、今も強くいられます。
その感謝は、これからもずっと忘れません。
*********************************************
ka-yuにとってJanne Da Arcよりも大事なもの、が何なのか、わたしには分かりませんが、ka-yuの人生なので、ka-yuが幸せなように生きていってほしいです。
ただ。
あなたは、とても、とても、偉大なバンドのベーシストです。
それだけは、分かっていてほしかったです。
わたしにとって、Janne Da Arcの5人は、
世界一のボーカリスト、ギタリスト、ベーシスト、キーボーディスト、そしてドラマーが集まった、奇跡のバンドです。
yasu
youちゃん
kiyoちゃん
shujiさん
4人の、これからのますますのご活躍を、心より祈っています。
Janne Da Arcを好きでいられた人生を送れたことを、誇りに思います。
幸せな人生をありがとう。