*SAKULIVE*

15歳の夏から続く、with BREAKERZな人生の軌跡。

摩天楼オペラ “PANTHEON-coda-”at 仙台 CLUB JUNK BOX

f:id:cherryoulife:20180206182217j:plain2018.2.4(Sun)
摩天楼オペラ  10th Anniversary “PANTHEON TOUR -coda-”
at 仙台 CLUB JUNK BOX
  
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*SET LIST
 
-SE- the RISING -Orchestra-
1.Beyond the sorrow
2.止まるんじゃねえ
3..Curse Of Blood
4.BURNING SOUL
5.罪と罰
6.Psychic Paradise
7.覇道の火よ
8.黄金郷を夢見て
9.Innovational Symphonia
10.The Gambler
11.Murder Scope
12.WARRIOR
13.GLORIA
14.戦場の雨は音もなく
15.Voyage
16.PANTHEON
17.PANTHEON PART2
 
-EN-
1.PHOENIX
 
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仙台で、悠さんが摩天楼オペラから離れるとの発表がありました。
 
すごく、つらいです。
でも、ゆうさんも、そのさんもよーさんもあやめさんももっとつらくて、ゆうさんは、いちばんつらい。
そう思うと、もっともっとつらいです。
 
どれだけつらいと思っても、わたしにとって、摩天楼オペラは、言ってしまえば「趣味」で。
どれだけ、人生の大きな割合を摩天楼オペラが占めていたとしても、「趣味」なんです。
 
でも、摩天楼オペラのみなさんにとっては「人生」だから。
 
同じ気持ちには絶対なれないのだなと思います。
わたしでもこんなにつらいのに、さらに、と思うと、もう、つらいです。
 

 
codaは、ずっとゆうさんが心配で、正直すごく、つらいツアーでした。
 
わたしは、ゆうさんがおやすみしていた時期はまだオペラーじゃなかったくらい、摩天楼オペラを好きになって日が浅いけど、PANTHEONのツアーを通してゆうさんを観ていて、codaは特に、ゆうさんが心配でした。
 
心配しすぎてよけいにプレッシャーになったらだめだなとか、気のせいかもしれないなとか、どんな応援だったら負担にならないんだろうとか、いろんなこと考えて、そのたびに何もできないんだなって無力さを痛感して。
 
でも、ライブ中泣いてしまうことも増えて、そのたびに、いちばんつらいのはゆうさんなのに、勝手に泣いて、ステージから見えてたら心配してるってわかってしまうのに、なんで泣くの。って思ったけど、ゆうさんの姿観てたら、もう、涙が止まらなくなってしまって。
いちばんつらいのゆうさんなのに。
 

 
「片手で叩くことが増えると思う」とおっしゃっていたのが、PANTHEON -the first movement-の頃だったと思います。
初日の恵比寿は片手で叩かれている瞬間も多かったと思うのですが、この頃からレギュラーグリップを試されていて、片手で叩かれる場面はどんどん減っていったような気がします。
 
-the third movement-の頃には、レギュラーグリップで完全に叩かれていて、レギュラーグリップでメタルされているゆうさん、かっこいいなと思いながら観ていました。
ゆうさんも、「久々に両手で叩けたツアーになった」とおっしゃっていました。
 
異変を感じたのはcodaが始まってからでした。
 
福井、奈良と見て、「調子が悪そう」だなと思いました。
わたし自身、ライブ中すべての時間をゆうさんを観ているわけではないので、感じたことは実際の数万分の一にも満たないと思います。
それでも、調子は、よくなさそうで。
 
ライブの感想文をここに書いてきましたが、ゆうさんを思い出すと出てくる言葉が、心配しか出てこなくて、ゆうさんのことは何も書けなくなってしまいました。
 
この頃からゆうさんの姿を見ていると、そのさんがMCでおっしゃる「これから」の言葉が、全然響かなくなってきてました。
ごめんねそのさん。
今なら、それが、ゆうさんへの鼓舞だったのかもしれないと思います。
 
続く大阪と、横浜と観て。
横浜はゆうさん見えなくて。
 
急遽決めた高松が、ゆうさんがスコーンと見える位置で。
もう、「しんどそう」としか言いようがなくなってしまっていました。
わたしが観た中だし、もうずっとずっとつらかっただろうし、ライブに行けててもずっと観てるわけではないから、あくまでも「わたしが観た中」での出来事です。
 
特に、「Psychic Paradice」のサビとか、「戦場の雨は音もなく」がもう、上半身全体で倒れこむようにしてスネアを叩いてらして。
実際の痛みやつらさ、苦しさは、どう頑張ってもわたしにはわからなくて、ほんとはもっとしんどい部分、苦しい部分があったかもしれないけど、わたしはこの2曲が特につらそうに見えました。
きっと、2曲ともテンポ速くないし、むずかしいフレーズではないと思うんです。
だからこそ、なおさら、つらかった。いちばんつらいのはゆうさんなのに。
すごい勝手だなと思ったけど、どうしても、泣けてきてしまいました。
 
メンバーコール、全然するタイプじゃなかったんですけど。
高松から、することにしました。
全力で「ゆうーーーーーーーー!」って。それくらいしかできなかったから。それから合唱。
 
滋賀も最初のほうは笑顔が見られてほっとしたけど、やっぱり途中から、だめそうで。
「しんどそう」以外の言葉が出てこなかったです。
 
名古屋は高松に続いて、ゆうさんがすごく見える場所で。
2DAYSの2日目だから、やっぱり昨日のようにはいかないんだなって、思って。
頭のほうからしんどそうで。
 
「Psychic Paradice」のラスサビ、やっぱりすごくつらそうだなって思って観てたら、途中で立ち上がってしまって、もう、心配過ぎて泣いてしまいました。
「クロスカウンターを狙え」も、立ち上がっていて。
立ち上がることで、すこしでも楽になるのならいいんだけど…。
でも、前に「バスドラを踏むのは全然平気」っておっしゃっていたから(今も同じかわからないけど)、立ったら踏めなくなっちゃうし、すごいつらかったです。
 
「戦場の雨は音もなく」からの「Voyage」は、もう、ゆうさん観てたら苦しすぎて。すごくしんどそう。
こんなゆうさんしんどそうで、メンバー間での、ライブの裏でのサポートや会話がないわけなくて、もう悩みすぎて泣きすぎて細かいこと何も覚えていません。
 
「Voyage」の最後だったかな、ゆうさん笑ってて、無理に笑顔作らせてしまったかなってまたつらかった。
 
もう、つらくて悲しくて、「休んで」って言葉しか出てきませんでした。
 
MCのそのさんの「新曲作ってる」って話も、今はそんなんいいから、3月2日が終わったら休んでほしいって気持ちが大きすぎて、全然響きませんでした。
 
「PANTHEON」も結構つらそうだったけど、PART2の後半から笑顔になってた気がします。
 
でも、片手で叩いてるところもあって。
the third movementで「せっかく両手で叩けたツアーになった」、って言ってたのに。
いちばん悔しいのゆうさんだろうなって思ったらまた涙が止まらなくなって。
 
ゆうさん観てたらつらすぎて、しんどくて。
もう、観てられなくて。
でも、例えばよーさん観たらかっこよくて、楽しいかもしれないけど、ゆうさんがこんなにつらそうなの分かってるのに純粋に楽しむことはできなくて。
どうしたらいいかわからなくなって。
 
考えれば考えるほど、無力さを痛感しました。
 
とにかく、「ゆうーーーーーー!!!」って名前叫ぶのだけは、絶対しようって決めてたから、それだけは貫いて。
 
そうして、名古屋のライブは終わりました。
 
何ができるのか、どうしたらいいのか。
すごく考えたけど、どれだけ考えてもわかりませんでした。
 
だから、せめてできること、と思って、
「3月2日まで、全力でゆうさんの名前を呼んで応援する。合唱する」
って決めました。
 
ほんとにちっちゃなことだし、なんの力にもならないかもしれないけど、考えてもこれくらいしかできなかった。
 
全力で、ゆうさんの名前呼んで、3月2日のEXシアターまで駆け抜けよう。
そう決めたんです。
 
なんて書いたらいいかわからなくてずっと書いてなかった手紙も、書いて、盛岡のプレゼントボックスに入れました。
 
盛岡も、仙台のあの瞬間が来るまでも、できるだけ心配とかは思わないように、「Psychic Paradice」で立ち上がってるのを見ても、そっちのほうが楽なんだったらそうしてねって思うようにして、想いは全部叫ぶゆうさんの名前と合唱に乗せるようにして、泣かずに終えました。
 
そんな直後の発表でした。
 

 
そのさんが仙台で、「悠が」って言い始めた時、もう、その段階で続く言葉の7割は分かっていたような気がします。
 
正直、受け止める気持ちのほうがおおきくて、泣かずにいられそうだったんですけど。
嘘。結果的には絶対泣いてたと思うけど。
誰よりも早く、泣いてたの、じぇいさんで。
もう、その時点で涙腺が決壊してしまいました。
 
名古屋の時も、誰よりも、ゆうさん、気にかけていたのはじぇいさんでした。
ありがとう。
盛岡でやたらとポジションマークぴっかーんさせていたのも、みんなを笑わせるためだったんかなと思います。
めっちゃ笑った。
ステージの上のみんなも笑ってた。
ありがとう。
 
サポートがじぇいさんで、ほんとによかったです。ありがとう。
 

 
わたしがゆうさんを観て伝わってきていたものは、実際の苦しさやつらさ、しんどさの数万分の一にも満たないくらいだと思います。
それでも、すごく観ていてつらかった。
ゆうさん、すごくしんどそうに見えました。
 
あやめさんの
“悠くんから「しんどい」という言葉がありました。”
というコメントを見て、事実だったんだと思いました。
 
わたしの考え過ぎ、心配しすぎならよかったのに。
 
発表がある前は、わかんないなりに、いっぱい考えて、休んでほしいって本気で思っていたけど、休んで、大丈夫になるのかがわからないとも思っていました。
でも、ひとまず休んでほしいって、思っていました。
 
休むんじゃなくて離れることになってしまった。
 
この事実を前にして浮かぶのは、ほんとにしんどそうなゆうさんのドラムを叩く姿です。
笑顔で叩いてる姿を思い出したいけど、全然できないよ。
 
そのたびに、この事実を、受け止めるしかないんだなあって思います。
 
つらいけど。
いちばんつらいのはゆうさんだなって思うと、どうしようもなくつらいです。
 

 
ゆうさんは
“まだまだ試していない治療法、奏法はもちろんあると思います。”
っておっしゃっていました。
 
でも、せっかく、レッスンにも通って、レギュラーグリップで両手で叩けるようになったのに、また叩けなくなってしまって、想像しただけで苦しすぎます。
 
病気が憎いです。
なんで、なんでゆうさん、せっかくレギュラーグリップで叩けるようになったのに、神様はそれも奪うの。
 
ゆうさんは、わたしなんかが言っていい言葉じゃないのは分かっているけど、もう、充分すぎるくらい頑張ってこられたと思います。
限界は、もうずっと昔に超えてしまっていたのだと思います。
ほんとに、わたしがわかったように、言っていい言葉じゃないのは分かっているんですけど。
 
だから、ゆうさん、あんまりご自身を責めないでほしいです。
謝らないでほしいです。
 
実際にご本人にどんな言葉を伝えたらいいのか、全然わからなくて、言葉にならないです。
 
わたしは、残りovertureの3本しか行くことができませんが。
 
みんな、「笑顔で終わりたい」っておっしゃっているから、笑顔で終われるようにしたいなと、思うけど……………自信ない…………。
 
でも。
名古屋で決めた、
「3月2日まで、全力でゆうさんの名前を呼んで応援する。合唱する」
これは、完遂したいと思います。
 
残りわずかな時間、大切に生きます。